神鳥の卵

第 39 話


涼しい風が肌をなでる感触に、ゆっくりとまぶたを開いた。
冬が過ぎ、春になり、日に日に空気が暖かくなってきたからと、青空の広がる今日は風が気持がいいからと窓をすこし開けていったのだと思いだした。 ベッドに横たわっていると視界に入るのは青い空だけだから、季節の移り変わりは空気の匂いで感じる他ない。とはいえ、その匂いもいまは殆ど感じられない。目も耳も衰えて、ほとんど役には立たなくなっていた。
年老いて肉体は衰えても死神はこの生命をまだ奪ってはくれない。
あの時代をともに生きた者たちはもう誰も残っていないのに、自分一人未だこの世にとどまっている。何度か大病を患ったが、この身に刻まれたギアスの呪いがこの体を活かし続けた。ひどい呪いだと思うべきか、この呪いのおかげで長い間世界平和の手助けができたと喜ぶべきか。
あれから長い年月がたった今も、世界は平和だ。
英雄が舞台を下りても問題なく世界は動いている。
だから、世界に関してはもう思い残すことはない。
心残りがあるとすれば、やはり彼のことだろう。
あの日、C.C.は小さくなった卵を手に姿を消した。
おそらく、あの卵を割られないために、守るために立ち去ったのだ。
あの頃、皆はあの卵から出てくるだろう未熟児をどう生かすかを考えていたが、おそらくあの状態で割れれば、人の形で現れること無く、完全に消滅するのだと、彼女は気づいていたのだ。だから、消えた。その後、彼女の消息はつかめなかった。
柔らかな風が室内に流れてきた。日が高くなり、空気が暖かくなったのだろう。
・・・いや、違うな。

「・・・やっと、」

声になっていたのかももうわからない。
傍にいた人物がゆっくりと近づいてきたのがわかった。




困った話だとC.C.は思った。
そもそも、このルルーシュがどんな存在なのか不明だというのに、卵を割ればそのサイズのルルーシュが出てくるから、新生児集中治療室を用意してから割ろうなんて最初は耳を疑った。でも、本気でやろうとしているのだと気づき、私は卵を手に彼らから逃げた。
ルルーシュが小さくなった理由はわかりきっている。
あの場にいた多くの人間にギアスを使ったことで、自分を形成するためのエネルギーを大量に消費したからだ。
ルルーシュは人の形をしたエネルギーの塊だったのだ。
神鳥ルルーシュが人と同じ生態系だったのは、ルルーシュが自分を人間だと考えていたからだ。もしルルーシュが人であることを捨てていたなら、どのような形になったかわからない。
わかっているのは、人の形を形成するには一定量のエネルギーが必要で、エネルギーが減りすぎた結果小さな卵に戻り、一定以上のエネルギーを得れば成長する。そのエネルギーが何かはわからないが、愛情説が最も有力で、皆の愛情が注がれたことで、ルルーシュの人格が安定したという話もあった。まあ、そのあたりも過程の域は出ないからどうでもいい。
エネルギー体である以上、この小さな卵を割れば出てくるのはコードを宿したエネルギーだ。ルルーシュを形成することが出来ないただの微弱なエネルギー。万が一割ってしまえば、エネルギーとして散ってしまい、二度とルルーシュを形成することはできなくなるだろう。
ルルーシュの卵を持ち出した私は、Cの世界へつながる扉を探した。
さすがの私も卵とはコミュニケーションは取れない。
かつてマリアンヌがCの世界で精神を実体化させたように、Cの世界ならこの状態のルルーシュでも実体化できる可能性がある。実体化さえできれば、時間はかかるだろうが成長させることは可能なはずだ。神根島の遺跡や中華連邦の遺跡はルルーシュが破壊したが、それ以外の遺跡も戦争で、あるいは守り人がいなくなったことで崩壊していた。いくつもの遺跡をめぐり、ようやく可能性を見出したのは、ルルーシュがこうなった原因であるジルクスタンにあるアラムの門だった。地下牢獄に改良された古代遺跡、潜入は大変だろう、しかも割れ物の卵を抱えた状態でと思ったが、牢獄に罪人がいなかったこともあり・・・この国の特徴だが、山賊や盗賊であっても力があれば雇用されるため、長時間この遺跡の牢獄に入ることがないのだ。枢木スザク捕縛作戦のために申請していないKMFを日本国内に持ち込んだことで、黒の騎士団の監視がはいり、この国として保持できる武力が大幅に削減されたのも大きいだろう。
そのおかげで、予想外に簡単に潜入でき私はアラムの門に飛び込んだ。



もう何十年も前の話だ。
懐かしい。
あのあと、ルルーシュは予想通り実体化した。孵化するまで何十年とかかったのだ。大変だったが、それはすでに過去。今のルルーシュはすでに羽根も消え、背中にはコードのマークが浮かんでいる。
一度消滅したV.V.のコードが再びルルーシュを介してこの世に現れたのだ。



それにしても。
懐かしい夢を見たな。と、私は体を起こした。
桜が咲き始めた穏やかな春の日差し。
太陽は高く、もうすぐ昼になるだろう。
さて、今日の昼食は何かな?と、いつもと変わらぬ日が続くと思ったのだが



「おい、それはなんだ?」

テラスで紅茶を飲んでいる男に私はたずねた。
いやいやまさかな。
とても見覚えのあるものがそこにあるが、いや、まさかそんな。

こちらが困惑しているのを楽しむかのように、「見てわからないのか?」と、わざとらしい笑みを浮かべて言う。
ああ、わかっているさ。
嫌でもわかる。
6歳まで成長したルルーシュの膝の上には、あの卵が置かれていた。

「・・・なあルルーシュ、聞いていいか?」
「なんだ。数百年生きて耄碌したのか?それとも寝すぎて寝ぼけているのか?」
「今更聞くのもなんなんだが・・・おまえ、先々月まで18歳ぐらいまで成長していたはずだが、どうしてまた若返ったんだ?」

2ヶ月ほど前にふらりとどこかにでかけ、1ヶ月ほどして戻ってきたときにはもうこの姿だった。なにかで力を使ったことだけは確かなのだが。ルルーシュの羽根はなくなったが、今も人間を模倣したエネルギー体であることに変わりはない。ギアスを使う必要がある事態が起きたのか、なにか目的があって力を使ったのか。

「わかりませんか?C.C.さん」

優しく、穏やかな少女の声が後ろから聞こえた。
振り向くと、そこにはふわふわとした栗毛色の髪の少女が立っており、その手には焼きたてのクッキーが乗った皿を持っていた。

「ナナリー、クッキーを焼いてくれたのか。ああ、ナナリーお前の焼いたクッキーは世界一美味しいよ」
「ありがとうございますお兄様」

少女はナナリー。紛れもなくルルーシュの最愛の妹だ。今は10歳ぐらいの年齢で、背中には真っ白な羽がある。


「ナナリーには、わかるのか?」

以前ジルクスタンに向かいルルーシュを取り戻した際に、その地のコードユーザーからコードを譲り受け、ルルーシュの力でCの世界に還した。
所有者を失ったそのコードをCの世界で勝ち取り、夢の中でルルーシュに卵を押し付けたと聞いたときには、さすがルルーシュの妹。シャルルとマリアンヌの娘だなと思わされたものだ。・・・それが、ナナリーの死後49日目の話だ。

そこでふと気になり、C.C.は端末を操作し、情報を探った。引退し一般人として隠居・・・入院し続けていた英雄の情報は簡単に調べられる・・・予想通りと言うべきか、最後までしぶとく生きていたあの男の寿命が尽きていた。
兄妹の反応を考えればそこに宿ったのが誰かなんて聞かなくてもわかる。なるほど。1ヶ月ほど失踪していたのはどこかでコードの情報を手に入れ、それをCの世界に送って迎え入れる準備をしたのだろう。その過程で力を使い、幼児にまで戻ったか。・・・本人がCの世界で手に入れ、こちらに来るかどうかはわからないが、可能性があるなら準備をするのがこの兄妹だ。
・・・いやまて、たしかルルーシュ失踪の1週間前にナナリーが旅行に行くと姿を消し、ルルーシュが心配のあまり盗聴機やら発信機を仕掛けていた。そしてナナリーが戻ってすぐにルルーシュが消えた。・・・ナナリーがなにかしたということか。・・・さすがルルーシュの妹。マリアンヌの娘だ。

「・・・まあいいか。戦力はないよりある方がいい」

頭はいいが非戦闘員の二人を抱えて生きるのはなかなか大変だなのだ。あの裏切りグセのある男でもいないよりはマシだろう。
考えるだけ無駄だなとC.Cは思考を放棄した。

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